『石の上にも三年』 『仏の顔も三度まで』
『三人寄れば文珠の知恵』 『早起きは三文の徳』
『二度あることは三度ある』 『三つ子の魂百まで』
諺(ことわざ)にはなぜか
『三』の文字がつくものが多いですよね。
たとえば『石の上にも三年』は、
どんなことも最低三年努力しないと習得できないと、
継続の必要性を教え
『三つ子の魂百まで』は「三歳」までの躾けで、
一生の人格が決まるという、
限られた期間内での集中が大事であることを説いています。
「三」という数字は、あらゆる事象に共通する
最小単位の閾値(いきち)なんですね。
閾値という言葉は、普段の会話ではあまり出てきませんが、
それを超えれば、何かが変容するという「臨界点」のことです。
もっとも身近な例で言うと、
水が100度に達するまで熱せられると気体に変わり、
0度まで冷やされると固体となる。
この100度と0度が閾値です。
先日、会員さんの中で、
三度めの成婚退会を果たされた男性がいらっしゃいました。
「三度め」というと、
「この人はいったいどんな経験をしてきたんだろう?」と、
ついつい想像してしまうでしょうが、
彼(Mさんという方ですが)の場合は、
ご本人に一切の非があったわけでなく、どちらかというと、
気の毒なくらいお相手に恵まれなかった。
その結果、たまたま「三度め」の成婚をされたというのが実情です。
関西の有名私立大学で、永きにわたり、
教授として教鞭をふるわれているMさん(60歳)が、
あかね屋に入会されたのは今から7年前。
あの東日本大震災があった年でした。
就かれている職業と「人の貴さ」は、本来関係ありませんが、
世間的な「大学教授」に対するイメージは、やはり「それなり」のもので、
Mさんには、お見合いのお申し込みが絶えることは
ほとんどありませんでした。
しかし、物事はそうそう上手くいかないのも人生。
過去お二人と婚約に至り、
その二人とも結婚準備の途中で、
関係がぎくしゃくし、最終的には破談となりました。
私からすれば「巡り合わせが悪かった」というしかない。
というのも、お相手の二人ともが交際中はMさんに対し、
献身的に「尽くす女性」としてふるまっていましたが、
婚約した途端に態度が急変、
Mさんに様々な要求を突き付けるようになりました。
もちろん対応が可能なことであれば、
Mさんも応じようとされていましたが、
実際には「無理難題」がたくさんあり、
そのようなお相手と結婚生活を送ることは
難しいという結論に至りました。
Mさんの場合は一人ならまだしも、
二人目のお相手も同じような結末になってしまったので、
私もずい分と気に病みました。
今から考えれば、二人ともMさんの「人の良さ」に甘え、
やがてその甘えを増幅させ、
最後には理不尽極まりない要求を平然とするようになったのです。
さすがにその間、しばらく婚活を休憩されたこともありましたが、
「三度目の正直」を信じ、Mさんは再び活動を再開しました。
そしてこの「三度目の正直」を信じた取り組みは功を奏し、
それこそ、Mさんにピッタリの女性とご縁をつむぐことができました。
それは彼にとって、
あかね屋に入会されてから
通算47回目のお見合いが、そのきっかけとなりました。
前回の記事では「運気」に関するお話をしましたが、
一般的に「運がいい状態」というのは、時間もかからず、
苦労も挫折することもなく「望みが叶うこと」と解釈されています。
たしかに苦労しない、“思い通りにならない”ことや
時期を免れるのは、一見「幸運」のように見えますが、
本当のところは「逆だった」ということも
あるのではないかと思います。
効率的に願望を叶えたから、
それが本当の幸せなのでしょうか?
Mさんの場合も、何の回り道をすることなく、
一回目の成婚でお相手と今でも結婚生活を送っていたとしたら、
今と同じレベルの幸せを感じることができたでしょうか?
もちろん、それは答えのでないことです。
苦労して達成できたからこそ、手にできたからこそ、
そこに愛情も愛着もわいてくる。
何物にも代えることのできない価値が詰まっている。
お茶一杯淹れてもらうような些細なことでも、相手に感謝できる。
「自分は幸せだ」と実感できる。
そういうことが本当の豊かさではないでしょうか。
Mさんはまだ60歳。「人生100年時代」の今を考えれば、
これからの結婚生活も、あと40年も残されています。
こと結婚に関して、Mさんは「遅咲き」だったかもしれませんが、
そのぶん「幸せを感じる力」は、人の何倍も培われてこられたはずです。
Mさん、ほんとうにおめでとうございました!
心から「お幸せに!」と言わせていただきます。
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